あなたへのコトバ。

「あなた」だけど、わたし。それでも、生きよう。生き合おう。これは「わたし」を生きるプロセス。

「天気の子」とワタシ。

たぶん、突き抜けたいんだと思う。


なりふり構わず「ただ会いたいんだ」と、「君と生きていきたい」と言えるほだかのように。

 

悔しいんだよ自分に
口ばっかりの自分に
嘆くだけの自分に。

 

作品で表せられる人が羨ましい
政治で表せられる人が羨ましい
行動できる人が羨ましい

 

落ち着けよって、
現実みろよって、
そんなのできっこないって

 

そう言ってシャに構えるのは、
世間じゃなくて自分自信だ。

 

自分のために、誰かのために、世界のために進みたい道は決まっている。ずっとその道を歩いてきたじゃないか。

 

具現化する方法に自信がないのだ。
影響を与えられる自信がないだけだ。
分かりやすい選挙活動ならできるのに、
1の世界の共有はなぜできない。
全部つながっているじゃないか。

 

賢く観て
自分とつなげて、
やるときはやる。
やると決めれるところまで、体制を整えよう。

 

それをやる。
だったら進めるだろう。

 

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痛みを抱えたままで大丈夫。

 

人と別れることは痛みを伴う。

 

誰かと出会って、深くつながる時。

五感全部と心で感じ合う時。

関係性の中で自分を確立する私たちは、

関係性の中で愛と痛みを経験する。

 

特別な誰かと別れる時。

五感や心どうしでつながる糸や、

現在に集約される「過去から」と「未来へ」張り巡らされた糸が

すべて切られて私は迷子になる。

私と誰かを包み込む温もりがなくなってしまうように。

自分を確認できる鏡がなくなったように。

「痛み」という名の暗闇に投げ出される。

 

別れの直後は混乱があり、

寂しさがあり、

傷つきと絶望があって、

期待があったからこそ

怒りや幻滅が生まれる。

それが「痛み」の姿。

 

その一つひとつを拾っていこう。

ひとつ残らず。何ひとつ否定せず。

誰も責めずに。拾っていこう。

闇に葬ってはいけない。

そのすべてを自分で拾うんだ。

大切に大切に、抱きしめてあげてほしい。

 

そしたら気づく時が来る。

確かにそこにあった温もりに。

この痛みは「つながり」があったからこそ感じられるものだと。

安心があって、喜びがあった。

与えたものも、与えられたものもあった。

かけがえのない「愛」があった。

出会ったから生まれたものだった。

 

そこに気が付くと、切れた糸がまたつながっていく。

感じられる、思い出せる温もりがそこにあるのなら、

それは今の私の輪郭をつくりあげる要素となる。

 

そしたら許せるかもしれない。

自分を、相手を、誰かを。

感謝できるかもしれない。

誰かに、相手に、自分に。

 

 

傷が癒えることはないかもしれない。

それは体験というものに想いがくっついているのだから仕方ない。

今ここで、すべてを癒す必要はないよ。

それは、ダメな自分や弱い自分が「自分の一部」として存在し続けるように、

傷ついた自分がいてもいいということ。

 

痛みを抱えたままでも大丈夫だと、そう思えた時。

すべてひっくるめて受け入れて、次に進む準備が完了する。

 

そうやってまた出会っていくことができる。

だから、大丈夫だよ。

 


愛にできることはまだあるかい RADWIMPS MV

 

 

自分を守るために。

今まで人とぶつかることを避けてきた。

感情的になることを避けてきた。

そうなることが格好悪いと思い込んできたし、 言っても聞いてもらえないって思っていた。 衝突で起きる不穏な空気感も嫌だったから。

 

でも、言わなきゃ始まらない。

それが私の観点であると言われても。

どの段階にいようと、どのアイデンティティであろうと、自分の一部であることに変わりはない。

どの自分も、大切にできるのは自分しかいない。

今の自分のありのままの段階で、そのまま全部出していく。

でないと、私の尊厳が守られない。

 

分かった風に、物分かりがいい風に振る舞うのはやめ。

理解の中だけでやりとりするのもやめ。

 

このステップを踏まなければ、次の自分に進めない感じがする。

 

傷ついたから、悔しいから、忘れたくないから、ここに宣言しておきます。

 

すべてがすべてのためのプロセスだと信じて。

 

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それでも生きろ。

「この世界は生きるに値する。ただそれを感じたいだけなんだ」

 

そんな叫びがあちこちから聞こえてくる気がする。

 

分裂と衝突の中。

孤独と葛藤。

 

つながりが断たれ、自己否定の渦の中、

私たちは息ができなくなっていく。

他者を労わる余裕がなく、自分より弱いものをいたぶるか

自分自身を傷つける。

 

 

「私はここにいるんだ」という悲痛な叫びは、

憎悪と反逆として他者を攻撃した。

 

逃げ場がないと思い込んだ意識は、

肉体で存在することをやめる意思を働かせる。

 

絶望を前に、あきらめていることにも気づけないまま、

全てを放棄したような、そんな毎日を送る誰かがいる。

 

決められた枠組みの中で、そこにいる誰もが縛られ身動きがとれなくなる。

誰のために何のために存在している枠組みなのかを見失っていく。

 

 

誰の隣にも絶望がある。

 

それと同時に希望も手を振っている。

 

混沌の中にいれば見えにくいかもしれない。

でも確かにそこにある。

 

絶望と肩を組み、希望の手をつかむことはできると思うんだ。

それがにんげん。

 

あなた、今日も生きてくれて、ありがとう。

 

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私たちは、ただ苦しむために生まれてきたのではない。

 

 

 

 

あなたの人生、何を諦めていますか。

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こないだおもむろに引いたメッセージカード。

 

そこには、「あなたが本当にやりたいことは何ですか」という質問があった。

叶えたいこと。好きなこと。向き合いたいこと。

 

今やっていることは、本当にあなたがやりたいことですか。と。

 

そうでないとしたら、あなたは何を諦めているのでしょうか。

そんなような言葉が続いていた。

 

 

高校大学のころくらいからずっと、

「あなたの夢は?」と聞かれると浮かぶものがある。

 

具体的に就きたい仕事や、職業は思いつかない。

でも湧いてくるイメージはあった。

 

「世界中の人、自分の隣の人、みんなが笑顔になること」

 

そう、世界平和。

 

わたしが本当にやりたいことは、それだ。

 

漠然としすぎて、そしてデカすぎて叶え方がわからない。

 

さらに言えば、

「私は他人や世界に影響を与えられない」

「私は世界に価値あるものを生み出せない」

「私にはできない」

 

そんな思いが心の奥に眠っている。

 

これが、私のあきらめだ。

 

だから、途中であきらめることが多い。

努力できないことも。

 

いつもこの諦めと戦ってきたけれど、

まだまだここからみたいだ。

 

戦士よ~そろそろ目覚めておくれ。

心に響く好きな歌。

www.youtube.com

 

ポエムでもなんでもないです。

ただ好きな曲。好きな歌詞。なんだか泣ける。

 

『HERO』

歌:Mr.Children 作詞・作曲:桜井和寿

 

例えば誰か一人の命と

引き換えに世界を救えるとして

僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

 

愛すべきだくさんの人たちが

僕を臆病者に変えてしまったんだ

 

小さい頃に身振り手振りを真似てみせた

憧れになろうだなんて 大それた気持ちはない

でもヒーローになりたい ただ一人君にとっての

つまずいたり 転んだりするようなら

そっと手を差し伸べるよ

 

駄目な映画を盛り上げるために

簡単に命が捨てられていく

違う 僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ

 

僕の手を握る少し小さな手

すっと胸の淀みを溶かしていくんだ

 

人生をフルコースで深く味わうための

幾つものスパイスが誰にも用意されていて

時には苦しかったり 渋く思うこともあるだろう

そして最後のデザートを笑って食べる

君の側に僕は居たい

 

残酷に過ぎる時間の中で

きっと十分に僕も大人になったんだ

悲しくはない 切なさもない

ただこうして繰り返されてきたことが

そうこして繰り返していくことが

嬉しい 愛しい

 

ずっとヒーローでありたい

ただ一人 君にとっての

ちっとも謎めていていないし

今更もう秘密はない

でもヒーローになりたい

ただ一人 君にとっての

つまずいたり 転んだりするようなら

そっと手を差し伸べるよ

 

なんで、この曲が好きなのか、実はよくわからないんだけど。

この動画、いい動画です。是非に。

 

今、思うこと。

私は今も成長している。

いつの時も変化し続けている。

 

自分の不甲斐なさに向き合いながら、

確かに一歩一歩あゆんでいる。

 

頭でっかちなこともまだまだ多い。

実践を通して現実化・再現化できるようになりたい。

 

今、学んでいるすべてのことは一つも無駄じゃないということは良く聞く。

確かに私もそう思う。無駄なものなど何一つない。

 

出会いも別れも突発的なアクシデントさえ、たぶんそうなのだろう。

人々は偶然や必然や運命と呼ぶもの。

 

最近の出会いや学びを通して、私はやはり「境界線を解く(ほどく)」をやっていく運命なんだと再認識したのです。

ここで言う境界とはあらゆる境界のことで、自己内分裂や自己と世界、他者と他者、概念と概念の境界線。それぞれを存在させるには欠かせない境界。だけど境界は「戦闘戦線」でもありうる。

 

争いの火種、不安や恐怖の源。

 

これらを越え、統合し、自己内平和と世界の平和をつくりだしてくこと。

もともと持っている可能性を最大限に発揮して、豊かに生きること。

 

今はまず、自分がその階段を上がっているところです。

 

そして隣の人に伝達できるようになりたい。

人を導けるようになりたい。

それは、自分自身が人と深く繋がりたい、その人の涙や痛み全てをひっくるめた可能性と出会いたいと思っているからなのでしょう。

 

 

もし、もっと早くに私が完成していたら、と思う。

(完成することはないけれど)

もっと人を助けられる技術を身につけていたら、と。

 

あなたを助けられたのではと思う。

 

他人を助けるなんて、なんておこがましいんだろうと思うこともあるけれど。

 

 

あなたが残した靴を履いていると、守られている気分になるよ。

だからか、今日こんなにもセンシティブなのは。

それと、自分や世界を解放できる道が見えたからか。

 

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