「生きる力」とは。
公教育では、何かにつけて「生きる力」をつけることが目標にカリキュラムが組まれていたりします。
「生きる力」
あなたにとって「生きる力」とは、なんだと思いますか。
色んな考えがあると思います。
wikiさんにはこう書いてありました。
1996年に文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会(中教審)が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申の中で、
我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、
自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
と述べたことから、教育の新たな目的の一つとして上げられるようになった。
要は、主体的に自ら考え行動する力。
そして、他人と協働する力である、と。
文科省さんは言っているようです。
さて、あなたはどうですか。
「生きる力」とは、何だと思いますか?
私は最近こう思います。
これは、たぶん私自身の経験からくることだとも思います。
「生きる力」とは、「助けを求める力」。
自分には助けが必要なんだと思える力。
完璧でないことが当たり前で、他の人の力を借りることこそが自分を広げ、世界を豊かにするということを知っていること。
助けを求めることは「ダメな自分」ではなく、「人間はひとりでは何も成し遂げることができない」ことを受け入れ、不完全であることこそが、大いなる可能性であることを実感すること。
そして「助けを求める力」の根幹は、
「どんな自分でも存在している価値があると思えること」だとも思っています。
たとえ、人よりできないことがたくさんあっても、
誰かの支えがないと生きていけなくても、
フツーでなくても、
自分が存在することの意味を知っていること。
それは、
「〜ができるから」とか「〜のためになっているから」とか、そんなちっぽけな理由じゃないんです。本当は。
挫折した時に、自分を信じ、信じているからこそ周りにヘルプを求めることができる。
自分の存在に確信があるからこそ、挫折はただの通過点と捉えられるんだと思います。
私自身、そこの部分が揺らぎやすいからこそ、改めて、記しておきたいと思います。
あなた、今日も生きてくれてありがとう。