心の中にいる「小さなあなた」は何と言っていますか。
自分に一番近い人にこそ、出せないものがあったりする。
私の場合は、親の前では「泣けない」「弱音を吐けない」というものだ。
いつからだろう、そうなってしまったのは。
自分でも思い出せないから、親に聞いてみたことがあった。
すると、小さい頃か泣きじゃくって親を困らせるということが比較的少なかったと、母。
いつからそんな聞き分けがよくなってしまったのか、小さい頃の自分を少し不憫にも思ったりする。
最近、仕事や活動でチャレンジすることが多くなってきた分、自分(の認識)と向き合う日々が続いている。そうすると、心の奥でちらちらと見える姿があるのです。
膝を抱えて座る小さな自分。
「これ以上傷つけないで」
「わたしにはできないんの」
ここまで来て助けてほしい、と。
そんなことを言っているように感じた。
そんな自分がいたということを、薄々は気づいていたのかもしれない。その子が「言葉」を持ち始めたのは最近のことだけれど。
実際のところ、現実世界で頑張る自分は、その子とは正反対なのだ。
なぜ正反対かというと、この子を守っているのかもしれないと、最近は思うようになった。
小さくて無力な自分を、「できる自分」が守っている。
既に傷ついて、既に無力感に苛まされている小さな自分に、これ以上傷を負わさないように。表舞台で一人で頑張っているのが意識上の自分だったりするのだ。
だから、しんどい。だから、いつもどこか不安。
不安な状態を見せまいと、もともとが不安・恐怖からの出発だから。
自分の中の小さな自分に気づいたのなら、することは一つだった。
その子の声を聞いてあげることだ。
(インナーチャイルドを癒すというのはこのことだね。)
なんでそんなところにいるの?
何があったの?どんな気持ちでそこにいるの?
何をしてほしい?
心の中で寄り添う。その子の輪郭がはっきりしてくると、その子の願いが見えてきた。
「お母さんの前で泣きたい」
あぁ、このままの自分を受け入れてほしいんだ。
何もできない無力な自分、他者から何も評価されないままの自分。そんな小さな自分をただただ表現して、受け止めてほいい。
親に。母に。
一番受け止めてほしい相手に、そうしてもらえなかった傷があったんだと思う。
だから、一番素直になれない相手が親だったのだ。
小さな自分の思いに気づいたら、その思いを大切に、できることからやっていく。
まずは、自分だけで泣いた。
自分で自分の思いを受け止めた。
ずっと一人にしててごめんねと。
小さな自分を守るために他者評価と戦う自分ではなく、小さな自分と今の自分を統合して一緒に生きていこうと思った。
それは自然にそう感じたのです。
それが「わたし」を生きるために大切なこと。