死んだあなたのおかげで。
この世界は意味づけが自由だ。
自分が思いたいように思っていい世界。
だとしら、今、私が母(おかん)との関係を紡ぎなおせているのは、「あなた」のおかげだと思おう。
家族はむずかしい。
家族だからムズカシイ。
あなたがいなくなってから、私は実家にもどった。
これからの仕事のこともあったけれど、実家にもどるということが私の仕事のひとつだと思った。
あなたがいなくなってから、私は自分をどう生きようかと考えた。
悶々と考えたけれど、大した決断はできずに今の仕事についた。
大した決断ではなかったけれど、私にとっては「挑戦」であることは間違いなかった。
実家から通える。
実家から通うために選んだ場所なのか、そこだから実家に居る理由になったのかはわからないけれど、結果的に私は実家にいる。
実家は好きではなかった。
ここで理由を書くと、今書きたいことが最後まで書けないかもしれないから、そこには触れない。(わたしは言語的な困難を抱えていて(そう思っている、ただのコンプレックスだが)文章を書く体力がない)
簡単に言えば、弱音を吐けないからだ。
それは、親が悪いわけでも、わたしが悪いわけでもなく、
いろんな条件が重なって、私がそう思い込むように至ったということ。
そんな実家にいながら、新しい仕事を始めることになった。
この記事でも書いているように、今の職業は自分にとってものすごくしんどい。
もともと自尊心が低く、劣等感が強い私にとって、
自分が「できない」状態というのは致命的なのである。
自分を責めて、どうしようもなく苦しくなる。
何もできない自分だと思い込みを強くする。
そんな状況は、心の奥にいる「小さな自分」を浮かび上がらせ、
今までのやり方(自分ひとりで頑張る)では通用しない現実を創り出した。
現実的に追い込まれていく自分の状況と「小さな自分」の想いが交差して、
「おかんの前で泣きたい。弱さをさらけ出したい。受け止めてもらいたい。」
という思いが募っていった。
そして、泣いた。
ただ泣かせてほしいと言って。
おかんは受け止めてくれた。そうやって一方的に、無防備に、ただ弱さをさらけ出すことは初めてだった。
途中から的外れな(私が欲しくない反応)言葉がけをしていたけど、おかんなりに受け止めてくれた。小さな自分と外面の自分が統合を始めた(ように思う)。
そこから時々とは言わず、度々わたしはおかんの前で弱音を吐く。
「がんばれ」
と言われたら、「1回がんばれって言ったら3回だいじょうぶって言って」と、励まし方に注文を言う。
落ち込んでいる私の傍らで、ひたすらその日にあった出来事をハッピートーンで話す母を静止させ、「話すぎちゃう?」と言う。
(聞くと、わたしを励ますために楽しい話をしていたらしい。まったくもって他人の楽しい話を聞いても励まされない。人と人の思い込みがどれだけ違うかを目の当たりにする。笑)
こうして欲しいと、伝える。
感情をそのまま出す。
これは私がやってこなかったことだ。
相手が家族だったとしても。
実家にいるから、この仕事を選んだから、あなたが死んだから。
もしかしたら、そうかもしれない。
あなたからのバトンなのかもしれない。
母に触れたいと思った。父に寄りかかりたいと思った。片割れの素直な表情が見たいと思った。そんなこと、今まで思ったことなんてなかったのに。
家族と繋がりなおす。家族との関係を紡ぎなおす。
それは、わたしを生きるために必要なことのように思う。
大切なあたなは死んだ。
あなたが死んだから、大切だったと自覚した。
この一年はたくさん泣いた。たぶん、これからも。