あなたへのコトバ。

「あなた」だけど、わたし。それでも、生きよう。生き合おう。これは「わたし」を生きるプロセス。

死んだあなたのおかげで。

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この世界は意味づけが自由だ。

自分が思いたいように思っていい世界。

だとしら、今、私が母(おかん)との関係を紡ぎなおせているのは、「あなた」のおかげだと思おう。

 

家族はむずかしい。

家族だからムズカシイ。

 

あなたがいなくなってから、私は実家にもどった。

これからの仕事のこともあったけれど、実家にもどるということが私の仕事のひとつだと思った。

 

あなたがいなくなってから、私は自分をどう生きようかと考えた。

悶々と考えたけれど、大した決断はできずに今の仕事についた。

大した決断ではなかったけれど、私にとっては「挑戦」であることは間違いなかった。

 

実家から通える。

実家から通うために選んだ場所なのか、そこだから実家に居る理由になったのかはわからないけれど、結果的に私は実家にいる。

 

実家は好きではなかった。

ここで理由を書くと、今書きたいことが最後まで書けないかもしれないから、そこには触れない。(わたしは言語的な困難を抱えていて(そう思っている、ただのコンプレックスだが)文章を書く体力がない)

簡単に言えば、弱音を吐けないからだ。

 

それは、親が悪いわけでも、わたしが悪いわけでもなく、

いろんな条件が重なって、私がそう思い込むように至ったということ。

 

そんな実家にいながら、新しい仕事を始めることになった。

この記事でも書いているように、今の職業は自分にとってものすごくしんどい。

 

wordsforu.hatenablog.com

 もともと自尊心が低く、劣等感が強い私にとって、

自分が「できない」状態というのは致命的なのである。

 

自分を責めて、どうしようもなく苦しくなる。

何もできない自分だと思い込みを強くする。

 

そんな状況は、心の奥にいる「小さな自分」を浮かび上がらせ、

今までのやり方(自分ひとりで頑張る)では通用しない現実を創り出した。

 

wordsforu.hatenablog.com

 

現実的に追い込まれていく自分の状況と「小さな自分」の想いが交差して、

「おかんの前で泣きたい。弱さをさらけ出したい。受け止めてもらいたい。」

という思いが募っていった。

 

そして、泣いた。

ただ泣かせてほしいと言って。

 

おかんは受け止めてくれた。そうやって一方的に、無防備に、ただ弱さをさらけ出すことは初めてだった。

途中から的外れな(私が欲しくない反応)言葉がけをしていたけど、おかんなりに受け止めてくれた。小さな自分と外面の自分が統合を始めた(ように思う)。

 

そこから時々とは言わず、度々わたしはおかんの前で弱音を吐く。

 

「がんばれ」

と言われたら、「1回がんばれって言ったら3回だいじょうぶって言って」と、励まし方に注文を言う。

 

落ち込んでいる私の傍らで、ひたすらその日にあった出来事をハッピートーンで話す母を静止させ、「話すぎちゃう?」と言う。

(聞くと、わたしを励ますために楽しい話をしていたらしい。まったくもって他人の楽しい話を聞いても励まされない。人と人の思い込みがどれだけ違うかを目の当たりにする。笑)

 

こうして欲しいと、伝える。

感情をそのまま出す。

 

これは私がやってこなかったことだ。

相手が家族だったとしても。

 

実家にいるから、この仕事を選んだから、あなたが死んだから。

 

もしかしたら、そうかもしれない。

 

あなたからのバトンなのかもしれない。

 

母に触れたいと思った。父に寄りかかりたいと思った。片割れの素直な表情が見たいと思った。そんなこと、今まで思ったことなんてなかったのに。

 

家族と繋がりなおす。家族との関係を紡ぎなおす。

 

それは、わたしを生きるために必要なことのように思う。

 

大切なあたなは死んだ。

あなたが死んだから、大切だったと自覚した。

 

この一年はたくさん泣いた。たぶん、これからも。