無題。
自分が生きているということは、どういうことなのか考える。
「生きる」ということに無頓着だったこともある。
それは「ただただ生きていたから」かもしれない。
今、何かが劇的に変わったわけでは無いけれど、
私の大切な人は死んで、
私は生きている。
私の大切な人は、自分の不安の思考から抜け出せなかった。
そしてわたしは今、自分の不安や自己否定と向き合っている。
正直に言うと、しんどいのだ。この状況は。
自分に負担がかかることはしない。自分のできそうなことしか取り組んでこなかった過去がある。
それは、「自分にはできない」というわたしの思い込みから、自分のできそうなことしか挑戦(果たしてそれを挑戦と呼ぶのか)してこなかったから。
でも、そんな自分に気づいてしまい、同時に「自分にはこんなもんじゃない」という心の躍動を感じ、思い切って自分の能力以上を必要とする職業についた。
どんな仕事かというと説明が面倒なので省くが、簡単に言うと「孤独で正解のないパイオニア的職業」。
物事にある程度「枠」がなければ安心できない自分にとって、強烈に過酷なのだ。
「できない自分」を思う存分認識し、今まで他人の期待に応えることで保ってきていた自分の存在意義が感じられなくなっている現状。
つらいことだらけ。
そんな状況に立たされた時、自分は鬱になるタイプの人間だと思った。
そういえば、高校の時も片足踏み込んでいたこともある。
でも、そんなことを客観的に考えることができるくらいの余裕はあるのかもとは思う。
死んだ大切なあの人と、器質的には似ているのだ。
あの人は死んだ。
私は生きている。
この差はそんなにもないのかもしれないと思った。
今日は12月にしては暖かった。
ひんやりとした風にあたり、生きていると感じた。
地面を踏みしめる。
生きていると感じた。
月がきれいだった。
わたしは生きている。