自分のために生きる
今まで、じぶんのために生きてきたのだろうか。
じぶんを喜ばせるために、じぶんの好きを第一に、進んできたのだろうか。
たぶん、昔はそうだったんだと思う。
自分の欲求に従って、ただただ生きていたんだと思う。
「誰かのため」「何かのため」と言い出したのはいつだったか。
おそらくそれも自分のやりたいことの一つだったんだろうと思う。
中学生の頃に世界の貧困や紛争について知り衝撃を受けた。
命の扱い方がこんなに違ってもいいのかと、わたしの正義感が動いた。
世界に出てみると日本のことが良く見えるようなって、
そして隣の友人の多くが心に闇みたいなものを抱えていることに気づいた。
今はなぜか、自分の心に向き合うことが最優先になっていたりする。
みんなが平和な心で生きること、そんな世界が実現するればと思って、
今の仕事についていたりするけれど。
誰かを助けること
誰かの背中を押すこと
それが自分のしたいことなんだと思っていたけど、
どうやらそうでもないんじゃないかと思い出してきて。
どうやら、自分が楽しんでいない。そんな気がする。
よく言う、あれです。あれ。
「自分のためが相手のためになればよい」
ってやつです。
たぶんこれがベストで、
「相手のためが自分のため」
というのは、後からしんどくなってくるんだろうと思う。
もちろん、それでやっていける人もいて。
相手が喜んでくれるから、自分もうれしいというのは普遍的な人の反応だとも思う。
自分が誰かのために役に立つこと・役に立ちたいと思うことは、関係性の動物である人間にとってなくてはならないニーズだったりする。
だから、それも大切。
わたしの場合、ポイントは順序だ。
先に「誰かのため」を意識してしまうと、苦しくなったり、すぐにやる気がなくなってしまう気がする。
もともと飽き性な私は、自分の「わくわく」や「おもろい」が持続しなければやる気が起きてこないらしい。
だから、誰かのためとか世界のためとか一旦置いておいて、
自分は何に対して「おもろい」と感じているのか。
ここに戻ろうと思う。