自分自身に「ごめんなさい」
私たちはびっくりするくらい自然に、そして自分でも気づかないうちに自分のパターン(出来事に対する自動思考・自動反応)を発動しています。
私自身、自分をよーく観察してみると、いつも誰かを責めているんですよね。
上手くいかないこと、できていないところを見つけては自分を責める。
そして、目の前の相手を責めているんです。
今でこそ、そうやっていることに自分で気づけるようになりましたが、
きっとずーっと小さいころから、そうやってきたんだと思います。
自分を自分で批評する。
相手を批評する。
自分を責めると苦しい。
誰かを責めても苦しい。
行きどころのない思いを、長年蓄積してきました。
自分のやってしまうパターンに気が付いても、その蓄積されてきたものは私の心にずっと横たわっていたのでしょう。
ほんとうは誰も悪くない。
「ひとつ」から始まった私たち個体のそれぞれの物語は、
人間の脳によって複雑に編みなおされ、「現実」として映し出されている。
あらゆる現象、感情、考えは、私の脳が創り出した「錯覚」でしかない。
それが「真理」であるとすれば、自分自身を苦しめているのは、紛れもなく自分の認識である、ただそれだけなのです。
自分が悪いから責めているのではなく、
相手が悪いから責めているのではない。
責めてしまう「認識」がある。
それを確認していく作業をしていると、
とてつもない「申し訳なさ」が心の底から生まれてきました。
それと共に涙が溢れてきたのです。
意味のついていない真っ白な存在に、私が勝手に評価して
「良い・悪い」をつけていた。
自分の一番の味方になるべき自分が、
自分自身を「できない奴は必要ない」と評価してしまっていた。
そのことにたいして、
「ほんとうに、ごめんなさい」と、そんな思いがあふれてきたのです。
自分に対して、そして今まで私に関わってくれて人たちに対して。
涙が止まりませんでした。
いろんな意味で、自分自身を許せた瞬間だったように思います。
ごめんね、わたし。自分で自分を責めてごめんね。
ごめんね、みんな。
ほんとは誰もが素晴らしい存在で、「評価する」こと自体が尊厳を傷つけている。
その真理がそっと、私の心にしみ込んできたようでした。
自分を責めなくていいんだ。
誰かを責めなくていいんだ。
ごめんなさい。
そしてそこから、「ありがとう」という感謝へ。
1時間以上泣き続けた後、
自分を責め続け重くなっていた心が、軽くなっていたのは言うまでもありません。
ごめんねー!
ありがとう!!!
愛しているよ。
これからもよろしくね。